葛飾北斎は、日本だけでなく世界中で愛される浮世絵師です。
19世紀後半に日本の美術工芸品がヨーロッパを中心に広まり、高い評価を受けたムーブメント「ジャポニズム」をけん引した一人でもあります。
その影響は非常に多大で、ゴッホやモネなど世界的なアーティストたちに愛されました。
今回は、そんな北斎の波瀾万丈な人生を深掘りしていきたいと思います。
1. 早熟な才能と修行時代
幼少期
1760年、下総国本所割下水(しもうさくに ほんじょわり げすい)、現在の東京都墨田区亀沢1〜4丁目あたりに生まれ、幼名は時太郎、のちに鉄蔵と改名しました。
6歳から作画に興味を持ち始め、奇しくも北斎が6歳だった明和2年(1965)は木版技術の改良により多色刷りの錦絵が完成し、浮世絵版画界にとって記念すべき年だったのは、彼が浮世絵師になることを時代もが背中を押したエピソードと言えるでしょう。
その後、貸本屋で働きながら、貸本の挿絵を見て絵付けの勉強をしたり、木版印刷の版木彫りという職を得て文字彫りを担当するなど非凡な才能を発揮しました。
修行時代
北斎は19歳で浮世絵師:勝川春章(かつかわ しゅんそう)に弟子入りし、浮世絵の基礎を学びます。
春章は、リアルなタッチの役者似顔絵で人気を得ていた絵師でした。
入門の翌年に、遊女の挿絵と役者絵を発表し、早くも画界デビューしました。
画名は『勝川春朗(かつかわ しゅんろう)』。春章の「春」と、春章の別号である旭朗井(きょくろうせい)の「朗」を取った名で、二字とも師から譲られているのは、破格の扱いだったそうです。
二十歳で画家デビューって、天才すぎる…!
2.勝川派を離脱し、琳派を学ぶ
師匠の死
勝川派の中堅絵師として名を広めつつあった北斎でしたが、寛政4年(1792)北斎が33歳の時に、師匠の勝川春章が他界しました。
春章のいない派中にはもはや得るものはないと悟ったのか、勝川派を離脱しました。
勝川派を離脱
『俵屋宗理(たわらや そうり)』を襲名し、琳派の絵画様式を目指しました。
それまでの方向とは全く異なった画派になぜ身を投じたのかは明らかとなっていません。
しかし、並々ならぬ努力によって、わずか数ヶ月で別人かと思わせるほど画が進展。さらに肉筆画や狂歌絵本の挿絵といった新たな分野も意欲的に挑戦し、業界で確固たる地位を築いていきました。
独立し「北斎」が誕生
寛政10年(1798)北斎が39歳の時に、独立を果たします。
画名を『北条辰政(ほうじょう ときまさ)』と名乗り、ここでようやく「北斎」という偉大な名前が誕生したのです。
以後 約50年間、どこの派閥にも属さず、「万物を唯一の師である」と高らかに宣言し、作品作りに打ち込んでいきました。
これまで人物画を中心に制作していた北斎の作風が変わり、風景画の存在感が増していったよ。代表作「富嶽三十六景」シリーズが誕生したのは72歳の頃だよ。
3. 晩年の活躍と最期
独立後の50年間で3万4000点以上の作品を輩出
独立後は浮世絵にとらわれず、様々なジャンルで活躍しました。
読本挿絵や摺物、絵手本、錦絵、肉筆画…
80歳頃からは、肉筆画への傾倒が顕著になり、錦絵や風俗画の浮世絵もほとんど描かなくなりました。
常に高みへと登り続けた北斎が最後に到達したのは肉筆画の世界だったのです。
生涯で制作した作品は約3万4000点。
単純計算しても、独立後の50年間で一日で約2点を描き続けたことになります。
最期
嘉永2年(1849)の春、病にかかり生涯を終えました。北斎が90歳の時でした。
北斎は死の間際、こんな言葉を残しています。
翁死に臨み、大息し天我をして十年の命を長ふせしめはといひ、暫くして更に謂て曰く、天我をして五年の命を保たしめは、真正の画工となるを得へしと、言訖(おわ)りて死す、
―飯島虚心『葛飾北斎伝』蓬枢閣、明治26年(1893)
この言葉を現代の言葉に直すと以下のようになります。
あと10年、いや5年の命を与えてくれ、
そうすれば、真の絵描きになってみせるのに、
北斎は90歳という年齢でありながら、亡くなる瞬間まで、もっと長生きして、絵を描きたいと願い、最後まで己の美を追求することを諦めませんでした。
絵を描くことしか頭になかった尊敬すべき狂人の最後と言えるでしょう。
没後も国内のみならず、西洋の芸術家にも大きな影響を与え、「ジャポニズム」と呼ばれる日本美術への一大ムーブメントに貢献しました。
北斎は90年の生涯で、93回も引っ越しをしました。作品作りに没頭しすぎて掃除をする暇がなく、家が汚れたら引越しを繰り返していたからなんですね。
さらに詳しく知りたい人は
すみだ北斎美術館
北斎の生誕の地、墨田区にある美術館。
北斎の生い立ちから晩年まで、その生涯をたどる展示が充実しています。 富嶽三十六景をはじめ、北斎の代表作はもちろん、普段なかなか見られない貴重な作品も数多く展示されています。
また 大人から子供まで楽しめるワークショップやイベントが開催されており、芸術に触れる楽しさを体験できます。
美術館周辺には、昔ながらの町並みが残るエリアや、スカイツリーなどの現代的な建物も立地しています。美術館を訪れた後は、周辺を散策して、江戸の風情と現代の東京を同時に楽しむのもおすすめです!
もっと知りたい 葛飾北斎(東京美術)
北斎のことを深掘りしたい人へ、ビギナーズにもわかりやすいフルカラーの解説本。
おわりに
北斎の多様な画風や飽くなき実験精神は、私たちに「表現とは何か」という問いを投げかけてきます。
90歳近くまで描き続けたその探求心は、私たちに、年齢や状況に関係なく、常に新しいことに挑戦し続けることの大切さを教えてくれますね。
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