葛飾北斎直伝!上手な借金の頼み方

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酒を飲まず、煙草も嗜まず、裏手の類は好きだが、日々の食事に関心なく、破れた衣服一枚となりながらも、借金してでも描く

葛飾北斎は平均寿命が40年だった時代に、90歳まで生きていたスーパー大往生絵師でした。

世に輩出した絵は3万点以上。

絵師として独立した30歳から日割りで計算すると、1日に2枚も描いていたことになりますが、絵以外の身の回りの管理は苦手だったため、生活は苦しかったようです。

ほくさいぬ

今回は、そんな北斎の「上手な借金の頼み方」をみんなに伝授しちゃうよ!

ただひたすらに絵を描いて仕事をこなしていた北斎でしたが、実は暮らしは常に貧しいものだったと言われています。

下積み時代はさておき、知名度が上がり絵も売れて以降はそれなりに稼ぎが懐に入っていたかもしれませんが、北斎は版元(現代でいうプロデューサー)に度々借金を申し出ていたそうです。

有名な話では、江戸の護国寺で行ったのことのある120畳大の大だるまを描くライブペンティングパフォーマンスを名古屋でも再現した二日後…。

そのイベントの仕掛け人でもあった名古屋の販元:永楽屋東四郎に、二両(現在の金額で約20万円)ほどの借金をお願いする手紙を送りました。

そこには、裃(かみしも)をつけた役人と平身低頭する老人(北斎)の図を描き、自身の名を「ヘクサイ(屁臭い)」と表現して、ユーモア溢れる内容にしたのです。

北斎の茶目っ気ぶりに思わず笑いがこぼれるような内容でありますが、実はここがミソ。

お笑い芸人がお金を借りる時に自慢の話術で笑わせたり、遅刻した時に、面白い理由なら許されるというエピソードは時々耳にしますが、それが人に頼んだり許してもらう時の大切なメソッドなのでしょう。

己の武器を巧みに使い、ユーモアでその場の空気を我が物とする。

日頃の小さな頼み事からビジネスの場まで、応用すれば幅広く使えるテクニックかもしれませんね。

ほくさいぬ

私も使ってみようかな!

名古屋の販元:永楽屋東四郎とは?

葛飾北斎の絵手本『北斎漫画』を文化11年〜明治11年(1814〜1878年)にかけて出版しました。
『北斎漫画』は当初、江戸の版元:角丸屋甚助と合版でしたが、後に永楽屋の単独刊行となったといわれています。
昭和25年に廃業し現在は営業していません。

もっと知りたい方は

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この記事を書いた人

化政文化研究家
某芸術大学 日本画専攻卒。日本人らしくありつつ、飾らないのに粋な江戸文化である『化政文化』に魅了され、その魅力を多くの人々に伝えたいと思ってブログを始めました。
普段はジャンルにこだわらず、インタビュー系の動画制作や、動画のテロップ入れなど、映像編集業務全般を担当しています。過去の動画制作数は1000本以上。

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