【まるでジャンプ漫画?!】浮世絵師 歌川国芳の魂を継いだ弟子 月岡芳年・河鍋暁斎・落合芳幾を解説!

  • URLをコピーしました!
月岡芳年「大日本名将鑑 上毛之八綱田」
東京国立博物館研究情報アーカイブズ

歌川国芳(1797年〜1861年)は、江戸時代後期を代表する浮世絵師の一人で、特に勇壮な武者絵、動物画、戯画などで知られています。

国芳の作品は大胆な構図やユーモラスな表現が特徴で、現代に至っても劇画家や漫画家、デザイナーなどに国芳ファンが多く、海外でも評価が高いです。

今回は国芳の魂を受け継いだ浮世絵師3選を紹介したいと思います。

ちなみに、2024年12月21日から大阪で、歌川国芳展(大阪中之島美術館)が開催されます。詳細は以下の関連記事をご覧ください。

ほくさいぬ

ダイナミックな画面はジャンプ漫画さながら!

目次

月岡芳年

月岡 芳年、肖像写真 1882年(明治15年)撮影

月岡芳年(つきおか よしとし、1839年 – 1892年)は、幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師で、浮世絵の最後の巨匠とも称されます。

彼の作品は、幕末から明治時代の社会的変動を反映し、浮世絵というジャンルを新しい形で発展させました。

芳年の特徴

  1. 血みどろ絵と残酷描写
    芳年は初期の作品で、残酷な場面をリアルに描いた「血みどろ絵」で知られました。これは、暴力的なシーンや戦争の場面を細かく描写するもので、観客に強いインパクトを与えるものでした。例えば、「英名二十八衆句」という作品では、歴史的な戦いの場面や有名な武士たちの最期を描き、リアルな血飛沫や激しい表情が特徴です。
  2. 歴史画と物語絵
    歴史や伝説、物語を描いた作品が多く、彼の代表作として「月百姿」(げっぴゃくし)があります。これは、月に関連する歴史的人物や物語を描いた100枚の浮世絵シリーズで、詩情豊かで美しい作品が並びます。彼の作品は、単なる視覚的な美しさだけでなく、物語性や感情の深みを持っていました。
  3. 新しい時代への適応
    明治維新後、西洋文化が流入する中で、浮世絵師たちの需要は減少していきましたが、芳年は浮世絵の伝統を守りつつ、西洋風の影の描き方や遠近法を取り入れることで、その技法を進化させました。彼の後期の作品では、より写実的で立体感のある表現が見られ、これは明治時代の日本美術における革新とも言えます。
  4. 妖怪や異形の世界観
    芳年はまた、妖怪や怪異を描いた作品でも知られます。彼の「新形三十六怪撰」という作品では、恐ろしい妖怪や怪奇現象を描き、当時の日本人の恐怖心や興味を引きつけました。これらの作品は、江戸時代の怪談や民間伝承を題材にし、現代でも人気があります。

代表作

  • 「英名二十八衆句」
    武士たちの最後の瞬間をドラマチックに描いた作品集で、芳年のダイナミックな構図や血の表現が際立っています。
  • 「月百姿」
    月にまつわる物語や歴史をテーマに、優美で幻想的な作品を100点制作しました。この作品集は、彼の詩的なセンスと技術の頂点を示しています。
  • 「新形三十六怪撰」
    妖怪や怪異をテーマにした浮世絵シリーズで、恐怖と美しさが交錯する作品です。

月岡芳年の影響

芳年は浮世絵の伝統を守りつつ、時代の変化に対応した新しい表現を追求しました。

彼の弟子には、浮世絵師の小林清親鏑木清方がいます。

また彼の影響は、明治以降の日本のアートや、後の大正・昭和時代の漫画・アニメの表現にも見られることがあります。

河鍋暁斎

河鍋暁斎

河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831年 – 1889年)もまた、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の絵師であり、浮世絵、風刺画、妖怪画など多彩なジャンルで名を馳せました。

彼は、その技術力と独自の芸術的視点で日本画の発展に貢献し、近代日本美術の先駆者の一人とされています。

暁斎の特徴

  1. 多才な画風
    暁斎は、浮世絵だけでなく、狩野派の伝統的な日本画の技術も習得しており、非常に多彩な画風を持つ画家でした。幼少期に狩野派の絵師である狩野洞白に師事し、その後、浮世絵師である歌川国芳にも学んだため、伝統的な日本画の技法と、自由奔放な浮世絵のスタイルの両方をマスターしました。そのため、彼の作品には伝統的な技法と革新性が融合しています。
  2. 妖怪画と風刺画
    暁斎は特に妖怪画で有名です。彼の描く妖怪は、ユーモラスでありながら恐怖を感じさせる独特の存在感があります。『暁斎画談』という自伝的な著作には、幼少時に墓地で妖怪を見た経験が記されています。この体験が彼の妖怪画に強く影響を与えたとされています。また、彼の風刺画も人気があり、社会や政治に対する鋭い洞察を反映しています。暁斎の風刺画には、当時の政府や社会に対する皮肉や批判が込められており、庶民に愛される存在でもありました。
  3. 自由奔放な創作姿勢
    暁斎は非常に自由な創作姿勢を持っており、伝統に囚われず独自の視点で作品を描きました。その作風は、ユーモアとリアリティの融合、さらには大胆な構図と斬新な表現に特徴があります。彼はまた、仏教画や動物画、風景画にも精通しており、非常に幅広いテーマを手掛けました。
  4. 洋画や西洋美術への関心
    明治時代になると、西洋文化が日本に流入し、絵画にも影響を与え始めました。暁斎も洋画に興味を持ち、西洋の遠近法や光と影の表現を研究しましたが、彼の作風はあくまで日本的な要素を重視しており、西洋の技術を取り入れつつも独自のスタイルを築き上げました。

代表作

  • 「地獄太夫図」
    地獄の光景を描いた恐ろしいが迫力ある作品で、暁斎の妖怪画の代表作の一つです。生と死の境界が曖昧に描かれており、独特の世界観を表現しています。
  • 「暁斎百鬼画談」
    妖怪を描いた作品集で、ユーモラスなタッチと恐怖を同時に感じさせる、暁斎独特のスタイルが際立っています。
  • 「暁斎画談」
    自伝的なエッセイと絵を交えた作品で、彼の人生観や芸術に対する姿勢が描かれています。
  • 「骸骨図」
    骸骨を擬人化した風刺的な作品で、死の美しさと儚さが表現されています。この作品は、現代でも人気が高く、暁斎の名を広く知らしめました。

河鍋暁斎の影響

暁斎は多才な画風で、日本の絵画界に大きな影響を与えました。

彼の弟子には、河鍋暁翠(娘)水野年方などがいます。

また、暁斎の影響は日本の伝統美術だけでなく、現代の漫画やアニメにも受け継がれており、妖怪や奇妙なキャラクターを描くスタイルは、今日でも多くのクリエイターにインスピレーションを与えています。

暁斎の自由な創作精神と社会を鋭く風刺する視点は、近代日本の美術史において非常に重要な位置を占めています。

落合芳幾

落合芳幾『五節句図』
東京国立博物館研究情報アーカイブズ

落合芳幾(おちあい よしいく、1833年 – 1904年)もまた、幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師で、特に風俗画や武者絵、歴史画で知られています。

落合芳幾は、同門の月岡芳年と並び称される存在であり、二人は激しいライバル関係にありました。

二人は共に歌川国芳の弟子として学びましたが、作風やテーマが異なり、特に「血みどろ絵」の分野では競争がありました。

芳幾が新聞錦絵や風俗画に注力する一方で、芳年はより詩的で芸術性の高い方向に進んだため、最終的には作風に大きな違いが現れるようになりました。

落合芳幾の特徴

  1. 国芳門下の絵師としての成長
    歌川国芳の弟子として、国芳が得意とした「武者絵」や「歴史画」に大きな影響を受けました。武士の勇敢な姿や歴史上の英雄を大胆に描くスタイルを受け継ぎ、当時の人気作家の一人となりました。特に、国芳のスケール感や豪快さを継承した作品群は、ファンから高く評価されています。
  2. 血みどろ絵
    同門の月岡芳年と共に、幕末の浮世絵の中で「血みどろ絵」と呼ばれる暴力的でグロテスクな表現を多く描きました。これは、戦国時代や江戸時代の武士たちが激しい戦いの中で見せる残酷な場面をリアルに描写したもので、当時の人々に強いインパクトを与えました。血みどろ絵のシリーズ「英名二十八衆句」は、芳年と共に制作した競作の一つで、二人のライバル関係を象徴する作品でもあります。
  3. 風俗画や美人画
    芳幾は、時代の流れに応じて風俗画や美人画の制作も行いました。明治時代に入ると、浮世絵に対する需要が変化し、武者絵に限らず、当時の風俗や流行を描くことで新しい作品のスタイルを模索しました。特に美人画においては、当時の女性たちの服装や髪型を描写し、現実の生活を反映した作品が人気を博しました。
  4. 新聞錦絵(にしんぶんにしきえ)
    明治時代には、新聞やニュースを題材にした「新聞錦絵」を数多く制作しました。これらの作品は、当時の最新のニュースを浮世絵形式で伝えるもので、特に戦争や災害など、庶民の関心が高い出来事を描くことで人気を集めました。新聞錦絵は、浮世絵の中でも報道的な役割を果たし、絵師たちが時事問題をテーマに作品を制作する新しいジャンルでした。

代表作

  • 「英名二十八衆句」
    月岡芳年との競作で、戦国時代や江戸時代の武士たちの最期をリアルに描いた作品シリーズです。芳幾のダイナミックな筆致と血みどろの場面描写が印象的です。
  • 「新聞錦絵シリーズ」
    明治時代に起きた出来事を描いた錦絵シリーズで、庶民の間で非常に人気がありました。
  • 「風俗三十二相」
    女性たちの様々な表情や仕草を描いた美人画シリーズで、彼の繊細な描写力が見られる作品です。

落合芳幾の影響

芳幾は、国芳門下の絵師として浮世絵の発展に寄与しました。

彼の作品は、幕末から明治の社会的変化を反映しており、特に新聞錦絵の分野では浮世絵の新しい可能性を広げました。

また、彼の美人画や風俗画は、後の世代にも影響を与え、明治時代の庶民生活や風俗を記録する貴重な資料としても評価されています。

芳幾は、浮世絵の世界で伝統を守りつつ、新しいジャンルに挑戦し続けた多才な絵師であり、その功績は日本美術史において重要な位置を占めています。

まとめ

武者絵、動物画、戯画で有名な歌川国芳の有名な弟子3人をあらためてまとめます。

3人は幕末から明治維新にかけて活躍した浮世絵師であり、

月岡芳年は、浮世絵の最後の巨匠として「血みどろ絵」の代表格。

河鍋暁斎は、近代日本美術の先駆者の一人として「風刺画」と「妖怪画」の代表格。

落合芳幾は、月岡芳年と激しいライバル関係にあり、風俗画や武者絵、歴史画の代表格。

そして彼らが歌川国芳から受け継ぎ、後世に脈々と流れている魂は、現代でも漫画やアニメのシーンでも力強く存在感を放っていますね。

2024年12月21日から大阪で、歌川国芳展(大阪中之島美術館)が開催されます。実物を見ることができる貴重な機会ですので、お近くの方はぜひ!

ほくさいぬ

アニメや漫画が好きな人にもおすすめ!

もっと知りたい人は

歌川国芳をもっと知りたいビギナーの方でもわかりやすい解説本を紹介します!

今回紹介した3人についても解説されていますよ!

私たちは化政文化にインスパイアされた現代的音楽を制作しています。
ぜひ聞いてくださると嬉しいです。

visualbum – Playlist –

本サイトでは、アフィリエイト広告を利用、またはプロモーション記事が含まれている場合があります

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

化政文化研究家
某芸術大学 日本画専攻卒。日本人らしくありつつ、飾らないのに粋な江戸文化である『化政文化』に魅了され、その魅力を多くの人々に伝えたいと思ってブログを始めました。
普段はジャンルにこだわらず、インタビュー系の動画制作や、動画のテロップ入れなど、映像編集業務全般を担当しています。過去の動画制作数は1000本以上。

目次