「富嶽三十六景」など、生涯を通して3万点以上の作品を描き残したといわれる画狂老人浮世絵師・葛飾北斎。
1998年に米誌『ライフ』が企画した「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」に、日本人では葛飾北斎だけが選出され、世界一有名な日本人画家として愛されています。
そんな北斎は、平均年齢が40歳の江戸時代に、90歳まで大往生したスーパー長寿でした。
本当は…もっと描きたかった…
今回は、北斎の晩年の様子と遺した言葉を現代語訳で解説していきたいと思います。
晩年の様子
老衰の北斎を診た医者は、助かる見込みはないと娘の阿栄(=葛飾応為)に告げました。
それを聞きつけた門人(弟子)や旧友がお見舞いに訪れていたそうです。
介護はわっちがしていたよ
最後の日
ついにその日がやってきました。
1849年4月18日 早朝4時ごろ、北斎永眠。
その折の状況は、飯島虚心『葛飾北斎伝』に書かれています。
これを現代語訳すると以下のようになります。
あと十年、いや、せめて五年、生かしてくれ。
そうすれば、真の絵描きになってみせる!
絵を描くことしか頭になかった北斎らしい最後ですね。
お葬式は翌日の19日に行われ、参列者は100人にも及び、中には武士の姿もあったほどでした。
当時は、出版や娯楽の業界に禁令が多く、武士と庶民の間には大きな溝がありましたが、江戸の人々が身分を超えて北斎のファンだったことがわかるエピソードですね。
長年、長屋住まいのおじいさんにしては立派なお葬式だったよ。
辞世の句
享年90の北斎が残した辞世の句は
現代語訳をすると
死んだ後、ひとだま(幽霊)となって、気晴らしに夏の草原をのんびりと飛んでゆけたら、気持ちいいだろうなあ
親父どのらしい、かっこいい句だね