「富嶽三十六景」など生涯を通して3万点以上の作品を描き残したといわれる画狂老人浮世絵師・葛飾北斎。
彼には、仰天エピソードがいくつも残っていますが、その中の一つに「名前変えすぎ問題」というのがあります。
親父どのは人生で何回名前を変えたんだっけ?
気づけば30回も変えてしまった…
本名である川村鉄蔵から始まり、勝川春朗、俵屋宗理、葛飾北斎、画狂老人卍など、数多くの画号を用いました。
画狂老人卍ってクセつよすぎん?
今回はわしの名前の中でも特に人気の「北斎」について詳しく解説していくよ!
ちなみに、北斎の生涯を映画化した作品「HOKUSAI」のレビューを書いたことがあるので、興味がある方はぜひ読んでいただけると嬉しいです⇩。
由来は北斗七星
俵屋宗理時代からすでに使用し、独立後に改めて「北斎辰政」と名乗りました。
もともと、北斎は日蓮宗を熱心に信仰しており、特に柳嶋妙見を深く尊崇されていたことに由来するとか。
妙見とは何でしょう?
妙見とはすべての事柄を見通す力を司どった妙見菩薩さまのことです。
この菩薩さまは北斗七星の化身と言われています。
北斗七星には「北辰」「七政」などの称号もあり、そこから「北斎辰政」の画号が生まれたと言われています。
北斎と妙見菩薩のエピソード
日課としている柳嶋妙見へのお参りの帰り道。
北斎は間近に落ちた雷に驚いて田んぼに落ちてしまいました。
しかし、この後から北斎の描く絵は売れ始め、妙見菩薩の霊験と信じた北斎は信仰心を深くしていったと言われています。
まとめ
そもそも、北斎はなぜそんなに頻繁に名前を変えたのでしょうか?
個人的な考察ですが3つ考えられます。
- 初心を忘れないため
常に新しい気持ちで創作活動に臨むため、名前を変えることで意識的にリセットしていたのではないでしょうか? - 多様な表現のため
それぞれの画号で異なるテーマやスタイルの作品を描きたかったのかもしれません。 - 時代の流行や自身の状況に合わせて
当時の社会情勢や自身の年齢、境遇に合わせて、よりふさわしい名前に変えていた可能性も考えられます。
北斎は作品だけでなく、人生も、観るものを飽きさせない素晴らしいエンターテイナーですね。
私たちは化政文化にインスパイアされた現代的音楽を制作しています。
ぜひ聞いてくださると嬉しいです。
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